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名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)1465号 判決 1980年10月08日

原告

神崎学

右訴訟代理人弁護士

森健

被告

株式会社梶鋳造所

右代表者代表取締役

梶源蔵

右訴訟代理人弁護士

後藤武夫

主文

一  被告は原告に対し、金八万円及びこれに対する昭和五四年三月一日から支払済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを八分し、その一を被告、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項につき仮に執行することができる。

事実

第一当事者の申立

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、六八万二三二六円及び

(1) 内金八万円に対する昭和五一年一二月一七日以降

(2) 残金六〇万二三二六円に対する昭和五四年七月六日以降

各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求はいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(原告の地位)

原告は、昭和四六年七月一五日被告会社に雇用され、昭和五三年一二月一日人員整理により退職した。その間昭和四九年五月一五日に取締役に就任した旨登記簿に記載されたが、右は被告が自己の便宜上原告に取締役名義を付与したにすぎず、原告は一貫して実質上被告会社の従業員であった。なお原告の勤務場所は、東海市東海町新日本製鉄株式会社内の被告会社名古屋工場であった。

2(預け金請求)

原告は、昭和五一年一二月に支給された賞与のうち、八万円を同月一七日被告に寄託した。よって右八万円及びこれに対する、第一次的には約定の返還時期である昭和五一年一二月一七日から、第二次的には右預け金の返還を請求した日の翌日である昭和五三年一二月一七日から、第三次的には本訴状送達の翌日である昭和五四年七月六日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

3(給与不足分請求)

被告会社では、前月二一日から当月二〇日までの一か月間の給与を当月分として当月二八日毎に支給していたところ、昭和五三年一一月分の原告の給与は二五万五四一〇円であった。

従って、原告の昭和五三年一〇月二一日から同年一一月三〇日までの給与は、合計三四万〇五四七円となるところ、原告は、右期間中被告より給与として一六万七三八三円の支払を受け、又健康保険法所定の傷病手当金として九万八八三八円の支給を受け、合計二六万六二二一円を受領した。

よって、給与不足分七万四三二六円、及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和五四年七月六日から支払済に至るまで、年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の抗弁に対し)

原告が昭和五三年一一月九日から同年同月三〇日まで私病により欠勤したこと、被告よりその主張の如き日割減額後の給与及び安全手当を受取り、また健康保険から傷病手当金の支給を受けたことは認めるも、その余の事実は否認する。

被告は、昭和五三年一一月九日から同年同月三〇日までの原告の病気欠勤に対し、給与の日割控除をしているが、原告は被告会社に七年余勤務しており、又その間一日の有給休暇も与えられなかった。このような事情に照らすと、被告の病欠を理由とする賃金カットは公平の原則に反し、かつ不合理である。

被告名古屋工場勤務の訴外及川正が、昭和五一年一二月から昭和五二年二月までの間に長期病気欠勤したが、被告は、同人に対し、その間の給与を全額支払った。原告に対しても同様に取扱うべきである。

4(賞与金請求)

原告の昭和五三年度末賞与金は、一五万円である。なお年度末賞与は、毎年七月から同年一二月までの間の賃金の一部に相当するものである。したがって、原告が在籍していた昭和五三年七月から同年一一月までの分を、被告は支払う義務がある。支給日に在籍していないという理由で原告に支払をしないのは、それが賃金の性質を有することからみて許されず、その旨を定めた被告会社の内規は、労働基準法の趣旨に反し無効である。

5(退職金不足分請求)

原告は、前記のとおり七年四か月間被告会社に勤務し退職したから、退職金の額は、退職金規定により計算した本給二二万円の三・六五か月分である八〇万三〇〇〇円となる。更に原告の退職は整理退職に当り、かかる場合退職金は増額されることになっているところ、増額分は二〇万円が相当である。よって、原告が受くべき退職金は一〇〇万三〇〇〇円となるところ、被告は七〇万円を支払ったので、不足分三〇万三〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日から、年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

6(雇用保険給付差額分請求)

雇用保険法に基づく失業給付は、退職者に対し、退職時の賃金に従い三〇〇日分が給付されるものであるところ、原告の退職時の賃金は、一か月二五万五四一〇円であった。被告は、原告の離職前の賃金支払状況として、離職票にその旨記載すべきであるにも拘らず、昭和五三年一〇月二一日以降同年一一月三〇日までの原告の賃金を一六万七三八三円と過少に記載した。その結果、原告は元来一日当り五四六〇円の割合による保険給付を受くべきところ、一日当り五二一〇円の割合による給付しか受けることができなかった。

原告は、その差額一日当り二五〇円の三〇〇日分合計七万五〇〇〇円の損害を蒙ったことになる。よって、原告はその賠償を求めるため、被告に対し、右七万五〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日から年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(請求原因1に対し)

原告が昭和四六年七月一五日被告会社に雇用されたこと、登記簿上、原告が昭和四九年五月一五日被告会社の取締役に就任した旨記載されたこと及び原告の勤務場所が原告主張のとおりであったことは認めるも、その余の事実は否認する。

原告は、昭和四九年五月一五日実質的に被告会社の取締役に選任された者で従業員ではなかった。そして、昭和五三年一一月三〇日をもって取締役を辞任したのである。

2(請求原因2に対し)

被告が原告からその主張の日に八万円を預ったことは認めるも、返還時期の定めがあったこと、原告が昭和五三年一二月に被告に返還を請求したことは否認する。

右預り金について、原告は昭和五四年二月末頃になってはじめてその支払を請求した。右債務の履行場所は被告会社本店と約定されていたため、被告は、原告が取立てに来ればいつでも支払う用意がある旨をその際原告に通知した。しかるに、原告は今日まで取立に来ないので、被告には右預り金の支払について遅滞の責任はない。

3(請求原因3に対し)

原告の昭和五三年一一月分の給与が二五万五四一〇円であったこと、一か月分の定め方が原告主張のとおりであること、原告が給与として一六万七三八三円、傷病手当金として九万八八三八円の支払を受けたことは認めるも、その余の事実は否認する。被告が原告に支払った金員は一六万七六八七円である。なお右被告からの支給金は役員報酬である。

(抗弁として)

被告会社の給与規則によれば、月額支給の給与は、特別の承認なき限り欠勤期間相当額を日割計算して減額することがある(但し、保険請求にかかる期間以外の家族手当、通勤手当は除く)とされている。そして役員の報酬についても原則として右規定が準用される。ところで原告はこれまでも月に数日は欠勤をしていたが、取締役であるため特別の承認により有給扱いを受けていた。しかし今回は、退任が予定されている直前に休日を含め三週間以上病欠をしたものであって、右欠勤についての承認をする特段の理由もないところから特別の承認はしなかった。そのため右規定による日割控除を受けることとなったのである。そこで右規定に従って計算すると、一一月分の報酬についての日割減額計算は別紙(略)計算式のとおりとなる(但し、日割計数については名古屋工場給与規則特例の二二・九二分の一によった)。この結果被告は原告に対して、一一月分報酬を一六万〇三八三円とし、一一月分安全手当七三〇四円を加え合計一六万七六八七円を支給した。

一方原告は被告よりの示唆に基づき、右欠勤期間中健康保険から傷病手当金の支給を受けるべく、自らその手続をなし、一一月九日から同月三〇日までの欠勤による減額分に対応する傷病手当金として合計九万八八三八円を受領した。

かように被告は原告に対し、昭和五四年一一月分については支払う義務あるものは全額支払っており、それ以外に原告に対し債務は負担していない。また一二月分(一一月三〇日までの分)については、原告は病気欠勤しているためすべて減額の対象となるから、被告は同月分については一切支払う義務がない。

4(請求原因4に対し)

否認する。

被告会社において、賞与はその支払日現在在籍する従業員に対してのみ支給する旨の内規が存し、現実にもそのとおり運用されていた。昭和五三年度末賞与は同年一二月一五日が支給日であり、同日以前に退職した者は支払を求める権利を有しない。なお右内規は法令に違反するものではない。ことに原告は取締役であるから、賞与をもって賃金とみる一般論を原告に対し適用するのは前提を欠く。

5(請求原因5に対し)

原告が、七年四か月間被告会社に在籍していたこと及び被告が本件退職に関し、原告に対し、七〇万円の退職(慰労)金を支払ったことは認めるも、その余の事実は否認する。

そもそも原告は取締役であり、退任しても当然に退職慰労金が支給されるわけではなく、定款又は株主総会の決議がなければその請求権は発生しない。本件において被告は原告に対する適正な退職慰労金を算定するために、現職の役付者の基本給につき昭和四九年以降の上昇率を求め、このうち最高の率を原告が取締役となる直前の基本給一〇万円に乗じて、原告が取締役にならなければ得ていたであろう適正な基本給相当額を求めたところ一五万円となった。これにより、まず従業員なみの退職金を算出してみると、係数の三・五を乗じた五二万五〇〇〇円となる。これに原告が役員であったこと、会社への貢献度等を考慮して、原告に対する退職慰労金は七〇万円が相当であると判断した。原告は二二万円を基本給として三・六五を乗じて算出すべきであるというが、二二万円の中には役付手当等も入っており、いわゆる一般従業員の基本給とは異なる。したがって、二二万円を基準として退職慰労金を計算するのは相当でない。また、原告の退職は、本人都合によるもので整理退職に当るものではない。そして、右七〇万円の退職慰労金は、昭和五四年七月一七日開催の株主総会及び取締役会において追認された。被告には、右以上の退職慰労金の支払義務はない。

6(請求原因6に対し)

雇用保険法によれば、退職者に対し、退職時の賃金の一定割合に従い、三〇〇日分の失業給付がなされる場合のあること、原告の退職時の報酬(諸手当を含む)が月額二五万五四一〇円であったこと、被告が昭和五三年一〇月二一日以降一一月二〇日までの間の支給賃金額を、一六万七三八三円と記載した離職票の交付を受けたことは認めるも、原告が一日につき五二一〇円の失業給付を受けたことは知らない。その余の事実は否認する。

右賃金額の決定の経緯は前記被告の認否3に記載のとおりであり、被告は事実をそのまま記載したものである。かりに前記離職票記載の支給金額に誤りがあり、それが過少であったとしても、原告はその誤りを知った時から二年以内に更正を申し立てれば、その差額について更に支給を受けることができるのであるから、その意味で損害が発生したということはできない。

第三証拠(略)

理由

一  原告の地位について

原告が昭和四六年七月一五日被告会社に雇用されたこと、登記簿上原告が昭和四九年五月一五日被告会社の取締役に就任した旨記載されたこと及び原告の勤務場所が原告主張のとおりであることは当事者間に争いがない。

そして(証拠略)を総合すると、原告の給与は昭和四九年五月分が基本給一〇万円職務手当一万五〇〇〇円皆勤手当、振替手当、食事手当等計一万二九六九円その他であったが、取締役就任登記後の昭和四九年六月分は基本給が一九万二〇〇〇円となり、右職務手当等は基本給に吸収されて支給されなくなり、手当と基本給は一本化されたこと、原告は取締役として一般従業員の如き厳格な時間管理は受けておらず、月間数日の欠勤があっても賃金控除は受けていなかったこと、原告は取締役会に出席しなかったが、取締役の会議である業績検討会議に出席していたこと、昭和五一年三月ごろ被告会社では従業員につき六〇才定年制をとったが、原告は大正三年三月二〇日生で当時六五才であったにも拘らず取締役であるという理由から定年退職を免れたこと及び原告はその後昭和五三年一一月三〇日被告会社を退職するに当り役員辞任届を提出していることが認められ、以上の事実を総合すると、原告は昭和四九年五月以降昭和五三年一一月三〇日までは名実ともに被告会社の取締役であったと認定するのが相当である。

しかしながら一方前記証人の証言によると、原告は人材銀行の紹介により被告名古屋工場の業務全般を統括すべく、当初より名古屋工場長として入社し、従業員としての地位においてその業務を担当していたこと、そして前記の如く昭和四九年五月に取締役に選任された後も同様工場長の地位にあったが、昭和五一年五月に職制の変更により技術面の総括者が工場長となり、これを含めた工場全体の統括者を工場所長と称することになり、原告は工場所長に任命されたこと、しかし原告は昭和五三年一〇月ごろから勇退を勧められ、同年一一月一日工場所長の地位を解任されたこと、そして原告は同年一一月二日に、同月三〇日限りで取締役を辞任したい旨の辞任届を被告に提出したことが認められ、右事実によると、職制変更前の被告会社名古屋工場長の地位は、必ずしも取締役でなければ就けない地位ではなく、又同変更後の工場所長の地位についても同様であると認められる。従って、従来取締役でなかった原告が同工場における従業員の最高の地位において工場長を勤めていたものであることからみれば、取締役就任後は、右従業員としての職務である工場長の仕事のほかに取締役としての職責が加わったものと認めるのが相当である。即ち原告は取締役就任後も従来と同様従業員として工場長(昭和五一年五月以降は工場所長)の職務を担当していたものというべく、前記認定の事実と併せると、結局原告は入社以来取締役就任までは従業員(工場長)、取締役就任後は取締役兼従業員(工場長→工場所長)、昭和五三年一一月二日以降一一月三〇日までは取締役兼従業員(工場所長解任)の地位にあったものと認めるのが相当である。

二  預け金請求について

被告が原告から昭和五一年一二月一七日に八万円の寄託を受けたことは当事者間に争いがない。

そして本件証拠によるも右寄託について返還時期の定めがあったことを認める証拠はない。

ところで(人証略)の証言によると、昭和五四年二月ごろ原告から右預け金の返還請求があったこと、被告は、原告在職中は原告に対する役員賞与を被告会社名古屋工場で支払ってきたが、原告退職後は名古屋工場で支払う方法がないため、右請求に対し被告本社で同年四月二〇日に支払うから受取りに来るよう原告に通知をしたこと、右寄託金八万円は被告が昭和五一年一二月に原告に対して支払うべき役員賞与を、被告の都合で支払うことができず寄託契約の目的物としたものであることが認められる。

以上によると、原被告間において原告が受くべき役員賞与等は少くとも原告在職中は原告の勤務場所である被告会社名古屋工場において支払う旨特約が成立していたと認められるが、退職後に支払うべき金員についてもなお右名古屋工場を支払場所とするとの特約が成立していたと認めることはできず、他に支払場所の特約の存在が認められない本件においては退職後に支払うべき役員賞与等の支払場所は原則に戻り債権者たる原告の住所地と認めるのが相当である。

すると被告は本件寄託金の弁済提供を履行場所である原告住所においてなすべき義務あるところ、被告はこれに反し被告会社本社にて弁済提供したものであるから、右は債務の本旨に従った提供ということを得ず、被告は原告より催告があった日の翌日の趣旨において遅くとも昭和五四年三月一日から遅滞の責に任ずべきものである。

すると被告は原告に対し本件寄託金八万円及びこれに対する催告後である昭和五四年三月一日から右支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。右限度をこえる原告の遅延損害金の請求は失当である。

三  給与不足分の請求について

原告の昭和五三年一一月分の役員報酬が二五万五四一〇円であったこと、一か月分の定め方が原告主張のとおりであること、原告が昭和五三年一一月九日から同月三〇日まで私病により欠勤したこと、原告が役員報酬として一六万七六八七円、傷病手当金として九万八八三八円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。

そして(証拠略)を総合すると、被告主張の抗弁事実、即ち被告の給与規則には特別の承認なき限り欠勤控除する旨定めがあること、これが役員の報酬についても原則として準用されること、原告の本件病気欠勤について特別の承認は得られなかったこと、右規定に従って計算すると別紙計算式のとおりとなること、その他が認められる。

原告は、七年余の勤務期間中一日の有給休暇も与えられなかったというが、前記抗弁事実にも表れている如く、原告はこれまでも月に数日は欠勤をしていたが有給扱であった事実が認められるから右主張は理由がなく、また七年余の勤務の実績があるからといって前記給与規則の適用を排除する理由とはなし得ず、被告主張の本件日割控除をもって公平の原則に反するものと認めることはできない。また原告は被告名古屋工場勤務の訴外及川正の例をあげるが、原告が特別の承認を得られなかった理由は抗弁事実記載のとおりであって、右訴外人の場合と事情を異にすることが明らかであるから、右引用の事例をもって本件原告に対する日割控除を不当とすることはできない。

原告の給与不足分の請求は理由がない。

四  賞与金請求について

(証拠略)によると、被告会社には昭和四六年四月に定められた賞与支給規定があり、これによると、1従業員の賞与は毎年七月及び一二月に、その支給日に在籍する社員に支給する。2支給対象期間は一二月より五月まで、及び六月より一一月までとする。3上記期間の考課は所属長が行い、本社に於いて全社を調整すると規定されていることが認められる。そして原告は前認定の如く取締役であったが、従業員としての地位も併有していたと認められるから、原告の受くべき昭和五三年度の賞与についても右規定が適用されると解されるところ、右規定によると、被告会社における賞与は毎年七月及び一二月に、その支給日に在籍する者に対してのみ支給されること、右支給額は支給対象期間における勤務内容等について考課を行い決定することが定められており、たとえ支給対象期間在勤していても支給日に在籍しない者には支給されない制度となっていることが明らかである。

原告は、毎年一定時期に賞与を支給するとしながら支給日に在籍しない一事をもって賞与請求権を失うとする右賞与支給規定の条項は労働基準法の規定に照らし無効である旨主張するが賞与は勤務時間で把握される勤務に対する直接的な対価ではなく、従業員が一定期間勤務したことに対して、その勤務成績に応じて支給される本来の給与とは別の包括的対価であって、一般にその金額はあらかじめ確定していないものである。従って労務提供があれば使用者からその対価として必ず支払われる雇用契約上の本来的債務(賃金)とは異なり、契約によって賞与を支払わないものもあれば、一定条件のもとで支払う旨定めるものもあって、賞与を支給するか否か、支給するとして如何なる条件のもとで支払うかはすべて当事者間の特別の約定(ないしは就業規則等)によって定まるというべきである。従って被告が賞与支給条件に関する就業規則(賞与支給規定)においてそれらを規定すること自体は違法とはいえず、かくして確定した賞与金を、右規定によって認められる賞与金請求権者に全額支払う限り労働基準法二四条一項に抵触するものではない。

以上の如く賞与支給規定において、支給日に在籍しない従業員には支給しない旨定めがある場合、支給日直前に退職した従業員には同期の賞与は全く支給されず一見酷のようであるが、さればといって常に退職から支給日までの分を日割減額した残額を請求できると解するのも賞与の性質に反し相当でなく労基法も賞与につきそこまで要求しているとは解し難い。結局右のような結果は、右規定の条件を承認して雇用契約を締結し、右支給条件を承知しながら支給日前に退職した結果であってやむを得ないというべきである。

すると原告の昭和五三年一二月の賞与金の請求はその余の点を判断するまでもなく理由がない。

五  退職金不足分請求について

原告が七年四か月間被告会社に在籍していたことは当事者間に争いがない。

そしてその間原告は取締役に就任したが従業員としての地位に消長はなかったことは前述のとおりである。

すると原告は本件退職によって七年四か月在勤者としての退職金を請求することができる(取締役就任時に被告はそれまでの勤務に対する退職金を原告に支払っていないことは弁論の全趣旨に照し明らかである)といわねばならない。そこで被告会社の退職金給与規定をみるに、(証拠略)によると、七年四か月の在職者には基本給の三・五か月分が支給されることが明らかである。

そこで原告の退職時の基本給額につき判断するに、(証拠略)によると、原告の取締役就任前の基本給は一〇万円であったが、取締役就任直後の基本給は、同就任前の給与中の職務手当、皆勤手当等を含め一本化されて一九万二〇〇〇円となったこと、従って退職直前の給与は二五万五四一〇円でうち基本給は二二万円と表記されているが、右基本給には、従業員に対して支払われる職務手当、皆勤手当等が含まれていること、そこで右基本給二二万円のうち従業員としての基本給分が如何程であるかを算定すべきところ、被告主張の方法で計算すると一五万円となったこと、右計算方法は本件において合理的であることが認められる。

すると右基本給一五万円に係数三・五を乗じた五二万五〇〇〇円が原告の退職金額と認められる。

ところで(証拠略)の退職金給与規定によると、右規定係数により算出した退職金であっても、在職中の勤務状態及び退職事由により増減することがある旨但書において定められていることが認められる。そして原告は本件退職は整理退職であり会社都合による退職であるから少くとも規定分に二〇万円を加えるべきである旨主張するが、前認定の如く、原告は当時従業員としての定年六〇才を超え、六五才にもなっており、営業に積極性がみられず、業績不振に対処するには不適と考えられたため被告から勇退を勧告されたところ、原告はこれを承知して自ら退職届を提出したことが認められるから、原告の本件退職は会社の退職勧奨に応じた退職であるとはいえ、退職金を増額するに足る積極的事情があるというには遠く、被告が増額事由として評価しなかったことはやむを得ないというべきである。その他退職金増額の事情はこれを認めることはできない。右認定に反する原告本人尋問の結果は採用できない。

そして右事実に(証拠略)を総合すると、被告は原告の従業員としての退職金五二万五〇〇〇円に取締役としての退職慰労金を加え合計七〇万円とし、これを原告の退職慰労金として株主総会で決議しこれを原告に支給したことを認定することができる。

すると原告に対する退職金は全額支払ずみであり、本件未払分の請求は理由がない。

六  雇用保険給付差額分の請求について

被告が原告の本件退職にあたり、原告に対し離職証明書を交付したが、離職前の賃金支払状況として昭和五三年一〇月二一日以降同年一一月二〇日までの間の支給賃金額を一六万七三八三円と記載したこと、しかし右期間の現実の賃金支払額は一六万七六八七円であることは当事者間に争いがない。

原告は、右期間の賃金としては二五万五四一〇円を受くべきであり、離職証明書にも同額を記載すべきであったと主張するが、被告がその期間の賃金として支払う義務があるのは一六万七六八七円であることは前記三において認定したとおりであるから、原告の右主張は理由がない。

もっとも右期間の賃金として一六万七六八七円と記載すべきところ、被告はこれより三〇四円少い一六万七三八三円と記載しているから、離職証明書の右記載はその限度で過少記載となっているというべきである。

ところで雇用保険法に基づく失業給付としての基本手当は、賃金日額を基礎として算定されるところ、右賃金日額は、算定対象期間において被保険者期間として計算された最後の六か月(この場合の一か月は賃金の支払の基礎となった日数が一四日以上であるもの)に支払われた賃金の総額を一八〇で除して得た額とされ(同法一七条一項)、(証拠略)に基づき原告の賃金日額を試算すると、前記期間の賃金を一六万七三八三円とした場合の賃金日額は八五八〇円(円以下切捨)、同じく一六万七六八七円とした場合のそれは八五八一円(円以下切捨)となる。そして基本手当は、このようにして算定された賃金日額の六割から八割までを基準として、労働大臣が定める基本手当日額表記載の賃金等級に応じて定められた金額とする(同法一六条)ところ、同日額表によると賃金日額八四九〇円以上八八九〇円未満の者は等級三四に位置づけられ、同等級の者の基本手当日額は均しく五二一〇円と定められているから、前記期間の原告の賃金につき三〇四円の異同があっても右日額表記載の等級あてはめの段階で同一等級となり、結局基本手当日額にまでは影響しないことが明らかである。

すると被告が離職証明書への賃金支払状況を記載するにあたり、対象期間のうちの一か月分につき若干の過少記載があったことは認められるが本件において、基本手当日額には影響はなく、原告は右過少記載によって何ら不利益を蒙っていないことが明らかであるといわねばならない。

すると原告の雇用保険給付差額分の請求はその余の点を判断するまでもなく理由がない。

七  結論

以上によると原告の本訴請求は、二記載の預け金八万円及びこれに対する昭和五四年三月一日から右支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 井上孝一)

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